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僕の思考

頭の中にある嘘か本当の事を書きます。Twitter@CafeNhaao

手札にはジョーカーだけ

小学三年生だった僕はとある女の子、仮に花ちゃんとして、花ちゃんに告白されたことがある。僕は別に花ちゃんが異性として好きじゃなかったけれども、まだ幼かったから僕も花ちゃんのことが好きだということにした。

僕から花ちゃんの恋の告白への返答はこうだった。

 俺は好きな人が二人いて、花ちゃんと鼻ちゃんなんだ

別に鼻ちゃんの事も好きじゃなかった。

今思えば当時から内に秘めていたウディアレン性なのだと思う。

僕は無中存在論者

僕らが持った認識とは一体何なんだろう。

なんの意味も意義もないことだけれど、僕は思った。

この世界に存在するものは、それよりも大きなものの中に入っているのではないか。吉祥寺は武蔵野に、武蔵野は東京にという感じで。

それを最後まで引っ張っていけば、自然と宇宙で止まる。

ならば宇宙が最後なのか。天の川銀河のまたその先のさらに先のまだまだ先にあるはずの宇宙の端のその先には何も無いのか。

もし仮に宇宙の先に何も無いのなら、宇宙以上に広大な、無限に広がる無があるのではないだろうか。

そう、無中存在論である。僕らは無に包まれている(かもしれない)のだ。

 

ふと思うことがある。真実の状態とは何も見えないものなのか、それとも全てが見えているものなのか。

こういう頭が痛くなりそうな難問で遊ぶことが僕は好きだ。決して答えなんて出なくてもいいと思う。

だけどこの問いに対しての答えは出ている。即答だった。

そもそもの話、その二つは別の状態ではないと僕は思った。

 

姉を追ってピアノを習ったのが3才の時で、辞めたのが6年生の時だった。普通に退屈だったから辞めた。今思えば姉はエレクトーンだった。

 

テレビで見てかっこよかったから始めた野球は小学3年生の時で、辞めたのは中学2年生の終わり頃だった。練習試合で肩を痛めて辞めた。あとスパイクが入らなくなってたし。

 

なんかかっこいいからと思って始めたゴルフはすぐやめた。期間についての記憶はない。そこまで早くはやめてない。コーチの顔は特徴的だったから憶えている。

 

プールもなんだかんだで習ってやめた。それを二回繰り返した。

 

継続を知らない。

存在する素晴らしい世界

今日も楽しかったな。なんて心で思った夕はもう過去の話で、家に帰ると夕食の時間には親に今日はどうだった?なんて聞かれてたら今度は声に出して今日は楽しかったって話をするよ。

父親と一緒に入る風呂で毎回のように大きくなったななんて言われるのが嬉しくて、まあそのあと待ち受ける父親のよくわからない武勇伝を聞かされるからプラスかマイナスでいうとプラマイゼロって感じ。

あまり自転車で遠くにいっちゃだめよ。家の鍵はきちんと首からかけておきなさい。

鐘が鳴れば暗くなってしまう前に帰るのよ、今日はあなたの好きな夕飯だから。

夕食が終われば父さんの部屋で将棋をしよう。まだまだだな。続きは明日だ。

次の休みはどこに行く?来月は遊園地に行こう。明日も早いのだからもう寝ちゃいなさいね。布団の中でゲームをしちゃだめよ。暗いところでゲームをすると目が悪くなるから。

ほら、もう寝なさい。歯は磨いた?そう、おやすみなさい。

 

関西圏を産まれにしていたり、そこに関係している人間のユーモアが優れている事はなにか腹がたつ。

僕は九州、東北、栃木、東京に関係した千葉産まれだから、ただの嫉妬なのかもしれないけれど。